旧北九州空港〜最後の伊丹定期便〜
2007年 02月 05日
MD87が今年度で全機退役する記事で
さらに昔、KKJに飛んでいたYS11伊丹便の話が出たので
ちょっと書いてみたいと思います
かなり前にも書いたのですが
旧北九州空港は
1944年(昭和19年)9月
旧陸軍曽根飛行場として建設されました
米軍の接収が解除後「小倉空港」となり
1956年(昭和31年) 5月
日本ヘリコプター(現全日空)が、小倉~大阪の定期路線を開設
ちなみに
1964年(昭和39年) 6月
小倉~東京便、F27で就航している。もちろん直行ではなく
岩国とどっかにに2回ほど着陸していく路線だったそうです。
山陽新幹線開業の影響で伊丹便だけとなり
最後は確か1日2往復、そして
1983年(昭和58年) 10月
旧北九州空港の定期便が大阪便を最後に運航休止となったのです
写真は旧北九州ー伊丹、最後の日
64人乗りのYSに最後の乗客は4人くらいじゃなかったかな〜?
(かなり前の記憶なんであやふやですが・・・)
でもそのくらいしか乗らない便もあったと記憶しています。
そのころのKKJのおんぼろターミナル、
(JASのMDが就航するときにできた
ターミナルじゃないですよ。空港西側エプロン横でした)
屋上の送迎デッキ(?)はビロボロでしたが
そこで見るYSは大きく感じました。
そのころは滑走路が延長される前で1500m。
ジェット燃料って「灯油のニオイだ」と思ったのも
プッシュバックの無いKKJのエプロンで出発の際の
Uターンする時に排気をもろに浴びたときに知ったし。。
新聞社の格納庫や、小型機を運航する会社の
人たちとはみんな知り合い。よく飛行機を見せてもらったなー
MU2もあれば、フロート付けた単発機もあったし
昔はピッツもあった。
読売の格納庫の隣にはなぜか廃棄になった
F86セイバーがバラバラになっておいてあったり
エンジン音よりヒバリの鳴き声がよく聞こえる空港だったけど
楽しい空港でした。
空港跡地はまだそのまま。労災病院が一部跡地に
移転を計画しているらしいけど
あの広大な土地は何に使うんでしょう。
有効に使ってほしいな〜
ちなみに、ANAのYSが使っていたターミナルも
後年JALが使っていたターミナルも(こちらはまだ新しいですが)
まだ残っている。はず。。
全日空のYS-11が就航してた頃は、私は小中学生でしたが、沼地区の高台の中学校に通っていたので、教室から空港は全部見渡せました。YS-11が降りてきた時は、あのエンジンの音が響き渡るので、授業に集中出来ませんでしたね(笑)。
でも、一回だけ空自のC-1が降りた時ですが、離陸する時のエンジン音で授業が中断してしまい、先生も含めてクラスメイトが窓側に押し寄せてしまったので、校舎が傾くかと思いました(爆笑)。
空港跡地に労災病院ですか。今の労災病院は建屋が古いので、移転するのにはいい時期かもしれませんね。小さい頃にはお世話になりました。
なかなかいい空港でしたよね、のどかで(笑)C-1が降りた事があるんですか!?それは知りませんでした。C-1のエンジン音はでかいですからね、さぞ響いた事でしょう。
私は読売のピカピカのMU300が来た時は「日本のビジネスジェットが世界中を飛ぶ時代が来るぞ」と思ったものです。まあ、名前と会社は変わって世界中を飛んでいるにはとんでいますが><