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JA9576 アエロスパシアルAS355-F「ちよどり」(抹消)

JA9576 アエロスパシアルAS355-F1 「ちよどり」
登録82年8月19日 抹消02年12月20日 抹消
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【写真:ローズキッドだったんですね】
■1984年8月31日 AS355-FからAS355-F1へ型式変更

■1985年8月12日 日本航空123便墜落事故 取材
報道機として最初に墜落現場を特定。燃える事故機を写真撮影

日没後の午後6時56分群馬県・長野県県境の御巣鷹山頂南2キロに墜落した
日航機墜落現場を夜間飛行し報道機として最初に発見。
その様子が「日航ジャンボ機墜落」朝日新聞社編に書かれている。
ー以下引用ー
「ちよどり」が飛ぶ
午後八時半、東京本社の双発ジェットヘリコプター「ちよどり」が、羽田空港を離陸した。航空部の陣容はこの当時、四つの本社(東京・大阪・名古屋・西部)でヘリコプター四機、飛行機三機。「ちよどり」は事件づいていて。大事件の時に「一番機」に選ばれる事が多い「働き者」だった。機によっては、ちょうど修理中だったりで、事件に間に合わない事もあるのだが、「ちよどり」はなぜかいつも第一線にいる。操縦は関口。航空課副課長柿本彰は、夜間飛行の安全を考えてパイロットの友枝を同乗させた。整備士山本正夫。それに社会部の北山、藤森、写真部近藤が乗り込むと、ヘリは満席だった。
 任務が三つあった。空から現場を見て社会面用の雑観記事を送ること。カラーも含めて写真を撮ること。そして墜落地点を確認すること。出来れば、現場に降りて取材をしたかった。隣り合っている読売、毎日はまだ飛び立とうとしていない。取材機一番乗りはまず間違いなかった。まだ炎上中という情報があった。 

ー 中略 ー
ジェット燃料のにおい
午後九時六分。漆黒の下界に煙が見えた。「あっ、あれだ」。だれかが叫んだ。右斜め下に赤い火、点々。その上空に超低空飛行の捜索ヘリ一機の衝突防止灯が見える。墜落現場だった。
 昼間なら直ちに高度を下げて接近するところだだが、その日は月齢二十五・一。闇夜だった。地形が全くわからない。山の稜線もよくわからない。その付近は標高二千メートル級の山やコブが乱立しているはずだ。はやる気持ちを抑えて、関口はゆっくりと旋回しながら降下を続けた。一度は失敗した。気づくと二十メートル先に山の斜面の樹林が迫っていて、「ちよどり」の着陸灯がそれをうつし出した。
とっさに回避して、再び接近。満席で機体が重い。パワーもギリギリだった。「もっと降りて」と近藤。「ダメだ。重すぎる。降下できない。地形もわからないから、いざという時、上昇できない。と関口。操縦席の隣に座った友枝が、速度、高度、出力を叫び続け、関口がコントロールする。風向きが変わって、あっと思った瞬間に、ヘリは煙の中に入っていた。これはジェットオイルのにおいだ。ジャンボはここに墜落したんだ。関口はそう思った。それは、同じ航空仲間としても、身を切られるようなつらい体験でもあった。
 着陸灯で機体を捜した。しかし、光が届かない。どんなに降りても「機体」は見えなかった。目標は赤い炎だけ。暗くて、小山の頂上のように見えた尾根が、くの字のように大きく燃えている。十メートルほどの帯だったか。そのふちをたどるように、小さな火が二十数カ所。距離を測る材料がないのだが、それは数キロにわたって広がっているように見えた。近藤はその炎に向かって何度もシャッターを切った。炎と煙が上がっているだけの写真だった。現場には、とても降りられなかった。

■2002年12月19日 ニュージーランドへ売却

by pressaviation | 2005-03-29 22:42 | 朝日新聞所有機 | Comments(0)

新聞、テレビに見る航空取材合戦。報道飛行機たちの活躍を気が向いたときに書くブログ。その他のヒコーキネタ、新北九州空港の話題も。


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