JAL名物機長 小林さん引退
2010年 04月 19日
日航が運航したすべての海外路線を飛んだ最初で最後の機長
昨年度いっぱいで小林宏之さんが引退されていた。
定年後も特別運航乗務員として飛び続けていたベテランも
経営破たんした会社から、契約を更新しないといわれたそうだ。
今年10月に完成する羽田の新滑走路から飛びたかったそうだけど
その夢はかなわなかった。
JALの広報活動の一環でコックピットから見る地球の様子を
カメラに収めるなど、活動は操縦以外のことにも及んでいた。
総飛行時間は約1万8500時間!!!凄い!!!
距離にすると地球800周分だそうだ。。
離着陸した海外の空港は65。
1990年には、クウェートからの邦人救出機を操縦。
首相特別機の機長として竹下登、海部俊樹、小泉純一郎も
乗せたそうだ。
引退のセレモニーなどは断ったそうで、ラストフライトは
3月22日のホノルル~成田。きたいは勿論-400だった。
アイスランドの火山噴火の影響をテレビ朝日で語っていました。
グレートキャプテンの空のお話、聴いてみたいものです。
海外全線飛行・地球800周…日航、名物機長が引退へ
日本航空のジャンボ機の機長・小林宏之さん(63)が20日、ラストフライトに向け、ハワイへ飛び立った。日航が運航したすべての海外路線を飛んだ最初で最後の機長だ。定年後も後輩に安全運航の大切さを教えてきたが、経営破綻(はたん)で人員削減を進める日航にあって、例外ではなかった。「日航は必ずよみがえる」という手応えを感じながら一線を退く。
「新年度の契約はありません」。1月、人事部門から言い渡された。2006年に定年を迎えたが、後輩を指導する「特別運航乗務員」として1年契約を更新してきた。
会社更生手続き中の日航。16~17日には、2700人を予定していた特別早期退職の上積みを公表した。日航本体の全機長と35歳以上の副操縦士の約2300人も対象だ。
羽田空港は10月に新滑走路が完成し、国際線が頻繁に発着するようになる。「契約の上限の65歳まで続け、新しい羽田から飛びたい」と考えてきたが、引き際と受け止めた。
日航が海外委託して自社養成した1期生の機長だ。1968年に入社後、米国サンディエゴで資格を取得。81年に機長に。日航によると、総飛行時間は約1万8500時間で、地球800周分に相当する。離着陸した海外の空港は65。採算面から廃止された路線も含め、海外の全路線を飛んだ唯一の機長だ。
湾岸戦争前の90年には、クウェートからの邦人救出機を操縦。首相特別機の機長として故竹下登、海部俊樹、小泉純一郎の3首相も乗せた。一方で、72年のモスクワでの日航機墜落事故では、直後の便に乗務。遺族らを連れて帰る役目になり、安全について改めて深く考えた。
経営危機に陥った日航を、「組織間に壁があり、意思決定が遅れる。世の中の流れについていけなかった。自分も含め、社員も内向きだった」と話す。
一方で、変化も感じている。
1月以降もフライトの合間に若手の相談相手になってきた。「会社更生法の申請前後は動揺もみられたが、今は安全運航に向けて社内がまとまってきた」。今月15日には、入社1年の若手有志が「経験を聞かせて欲しい」と持ちかけ、成田空港で講演会を開催。約120人が集まった。「各職種が今までにないほど連携している。若手が必ず復活させてくれる」と話す。
ラストフライトはハワイのホノルル便。20日夜に中部空港から飛び立ち、22日夕に成田空港に戻る。会社から打診された行事は断った。「安全運航に個人的なことは邪魔。いつも通り臨みます」(朝日新聞から)
どんな体勢からも降ろしているの見てすげーと思って見てました。
引退されたんですね。
引退後はどうされるんでしょうかね?
話は変わりますが、
ベル429が今秋納品して浜松の聖隷三方原病院病院で年内に運航が開始される予定だそうです。(て事は運航会社はN日本)
最近国内でデモフライトがされたようでその様子の写真見ましたが、最近のベルの物と違って新設という事でいい感じでした。
久しぶりにベルの名機になりそうですね。
こいつのペパモも作成してみたいす。
では~
ベル429いよいよですね~。N社さんは427も国内で最初に導入したんでしたよね??
ベル社のヘリコプターって、222までは全て軍用に作られたもの。(だったはず)
429も報道取材機として使われたりするのかな~?BKよりは静かそうで、振動もなさそうだし。
情報ありがとうございます!