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ほーどー飛行機年表(随時更新)

■1903年(明治36年)
・12月17日 ライト兄弟飛行機による有人動力飛行に成功
■1910年(明治43年)
・12月19日 徳川大尉、日野大尉が日本初の動力飛行に成功・代々木練兵場
■1911年(明治44年)
・3月 日本初の飛行大会・大阪 朝日新聞主催
■1917年(大正6年)
・5月10日 東京日日新聞、 湯川写真部員が東京芝浦で墜落死。新聞社初の犠牲となる
■1922年(大正11年)
・1月 朝日新聞 計画部設置 航空事業を目的 後の航空部に(1926年)
■1923年(大正12年)
・1月11日 朝日が東西定期航空会をつくり東京〜大阪間の運航開始。事業部内に航空課設置(1月9日)!?
 東京・洲崎飛行場、大阪・城東練兵場を基地とする
 操縦士8人、機体8機(中島式5型・6機、伊藤式1機、白戸式1機)
新聞社の初めての機体は「朝日一号」中島式5型 J-TOBF
・2月22日 東西定期航空の「朝日十一号」が洲崎を離陸、三方原飛行場に着陸。その後東京へ戻る途中に遭難。3日後の24日箱根の明神ヶ岳中腹に墜落しているのが見つかる。島田武夫操縦士が新聞社パイロット初の犠牲となる。26歳。
・8月16日 第9回全国中等学校優勝野球大会 8機で祝賀飛行(民間航空他社の機体も参加)始球式のボールを初投下。
 機体はサルムソン2A2「川崎号」。投下係は 写真班員 長谷川義一 操縦士は河内一彦
・9月1日 関東大震災 連絡・輸送にあたる
■1924年(大正13年)
・3月 毎日新聞が庶務部航空課を設置
操縦士3人、機関士兼整備士1人、機体2機で発足(スパット・エルブモン1機、ゾッピースパップ3型1機)
大阪・城東練兵場を基地とする
・7月 「春風」が日本一周飛行・日本航空株式会社(後の川西航空機)川西6型水上機をチャーター
■1925年(大正14年)
・7月25日 朝日訪欧機「初風」「東風」が出発〜10月27日ローマ着
■1926年(大正15年)
・7月17日 朝日新聞航空部発足 航空部は社長直属 初代部長は取締役 村山長挙 部員11名
(航空部として独立したのはこの時)
・8月 北海タイムスが飛行班設置(サルムソン2A2 2機)
・小樽新聞が航空部設置
・12月 電報通信社が航空部設置 操縦士1人、機関士1人(三菱10式艦上偵察機 1機)
■1927年(昭和2年)
・2月 新愛知新聞が航空部設立(ニューポール1機、三菱10式艦上偵察機1機、アブロ練習機1機)
・2月 名古屋新聞が航空部設立
・5月20日-21日 リンドバーグ大西洋横断無着陸飛行
■1931年(昭和6年)
・報知新聞航空部設立 操縦士3人、機関士1人(ユンカースA50 2機、ユンカースW33 1機)
・8月 東京空港(羽田)開港
・9月 満州事変 朝日、毎日機が連絡飛行で活躍
・10月5〜6日 ミス・ビートル号太平洋無着陸横断飛行
■1932年(昭和7年)
・2月 毎日新聞 ロッキード・アルテア導入
・5月1日 読売新聞航空課を設置 操縦士1人(電通兼務)機関士1人(電通兼務)
(サルムソン2A2 1機)
・8月 朝日新聞、毎日新聞がオリンピック写真速報を競う
■1933年(昭和8年)
・8月4日 高知新聞航空部設立 操縦士1人、機関士1人(愛知製2式水偵 2機)
■1934年(昭和9年)
・2月 朝日新聞が川崎C-5,A-6を導入
・5月 読売新聞 スチンソン・リライアントをアメリカで購入
デトロイト〜ロサンゼルスを空輸 単独アメリカ横断飛行、船積みされ日本へ
■1935年(昭和10年)
・11月 毎日新聞のアルテアがフィリピン訪問飛行
■1936年(昭和11年)
・1月 電報通信社と同盟通信社が合併、同盟通信社設立
・7月 読売新聞 メッサーシュミットbf108タイフーンをドイツで購入
 8月1日 ドイツ五輪の開会式上空を祝賀飛行 パイロットは読売航空部 熊川良一郎
 写真輸送を目的としたベルリンー東京3日間連絡飛行はソビエトの領空通過が認められず断念 船便で輸入
 日本初飛行は9月23日
・12月 朝日新聞「鵬」がバンコク訪問飛行
■1937年(昭和12年)
・4月6日 朝日新聞亜欧連絡飛行「神風」が立川を出発、10日ロンドン着
・5月21日 「神風」東京に戻る
・7月 日中戦争で報道各社取材機中国大陸で取材飛行
■1938年(昭和13年)
・8月15日 読売新聞が航空課から航空部に
・8月20日 社告で読売飛行場建設、新鋭航空機3機購入、新式グライダー5機購入、パラシュート降下塔建設を発表
・9月1日 同盟通信社 航空部設立(乗員は日航委託)
■1939年(昭和14年)
・8月26日 毎日新聞 「ニッポン」号世界一周に出発、12月20日羽田に帰還
・9月 第二次大戦始まる
■1941年(昭和16年)
・12月8日 太平洋戦争始まる
■1943年(昭和18年)
・1月1日 大阪毎日新聞、東京日日新聞合併「毎日新聞」に
・7月7日 朝日新聞A-26(二号機)がドイツへ飛行中インド洋上で消息を断つ
■1944年(昭和19年)
・7月2日〜4日 朝日新聞A-26(一号機)満州で非公認世界周回記録を作る
■1945年(昭和20年)
・8月 終戦、新聞各社航空部解散

■1952年(昭和27年)
・朝日、毎日、読売、中日、産経の5社で新聞航空懇談会発足
・3月〜 新聞各社航空部再開 各社セスナ195を登録(JA3001は読売101号)
朝日、毎日、中日、産経は「航空部」読売は「機報部航空班」
・7月1日 羽田空港返還「東京国際空港」となる
■1954年(昭和29年)
・9月26日 青函連絡船 洞爺丸が台風で転覆、各社航空取材を繰り広げる
■1957年(昭和32年)
・1月 南極観測船「宗谷」に朝日新聞のセスナ「さち風」、支援船「海鷹丸」にベル47「ペンギン」が搭載偵察・記録飛行に活躍
■1959年(昭和34年)
・9月27日 伊勢湾台風被害を各社航空取材、救援・空輸も行う
■1963年(昭和38年)
・1月〜3月 38豪雪。薬師岳遭難事故で中部日本新聞、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞などが
自社機、チャーターヘリ含め過熱気味な取材合戦を繰り広げる
■1964年(昭和39年)
・6月16日 新潟地震
・10月10日 東京オリンピック開催・表取材始まる
■1965年(昭和40年)
・1月 中部日本新聞が中日新聞と改称
■1968年(昭和43年)
・1月 原子力空母エンタープライズ佐世保入港、各社航空取材合戦
・6月23日 小笠原諸島返還、各社硫黄島へ取材飛行
■1969年(昭和44年)
・12月14日 全日空のYS11と読売新聞のビーチクラフトC-50が神戸市の沖10kmの上空高度1万500f付近で接触 両機とも無事着陸
■1972年(昭和47年)
・沖縄復帰、各社取材機を飛ばす
■1975年(昭和50年)
・7月15日〜30日 朝日新聞「早風」サイパン取材飛行
■1976年(昭和51年)
・10月 朝日新聞がセスナ500サイテーション「はやて」を導入 新聞取材機初のジェット機
■1977(昭和52年)
・2月 読売新聞(西部)のビーチクラフト機が竹島を空撮 紙面と週刊読売にルポが掲載される
■1978年(昭和53年)
・新東京国際空港開港
■1979年(昭和54年)
・2月2日 サンケイ「おおぞら」が高高度から北方領土国後島を空撮
・5月28日 読売「よみうり123」が尖閣諸島・魚釣島に着陸取材、同島への着陸は初
(翌日 帰路、石垣空港を離陸した同機はエンジントラブル、半月近く修理のため足止め 現場でエンジン交換)
■1981年(昭和56年)
・11月 NHKのチャーター機が山形市の蔵王スキー場に墜落、1人死亡
■1983年(昭和58年)
・9月15日〜19日 朝日新聞サイテーション500「千早」が北京訪問飛行。新聞社機が中国に飛んだのは戦後初
■1984年(昭和59年)
・7月 毎日新聞のヘリと朝日放送のチャーター機が兵庫県明石市で接触し墜落。3人死亡
■1985年(昭和60年)
・6月 北海道新聞のチャーター機が北海道白滝村(現遠軽町)の山中に墜落、4人死亡
・7月 読売新聞初のジェット機 三菱MU300「よみうり128」導入
・8月12日 日本航空123便墜落事故 各社夜間飛行で墜落地点捜索 朝日新聞AS355「ちよどり」
報道機として最初に墜落地点を特定 燃える事故機を写真撮影
・12月 読売新聞 三菱MU300「よみうり128」がマーシャル諸島、ビキニ環礁取材飛行(翌年の正月用企画取材)
■1986年(昭和61年)
・1月30日 毎日新聞がヘリでリハビリ中の田中角栄元首相を空撮
・7月23日 読売新聞 三菱MU300「よみうり128」が羽田から新潟への訓練飛行中、佐渡島山中に墜落。乗員4人全員死亡
■1987年(昭和62年)
・8月 テレビ・ラジオ番組制作会社・テレコムサウンズのチャーター機が神奈川県茅ケ崎市沖の海上に墜落、2人死亡
■1989年(平成元年)
・毎日新聞ターボプロップ双発機パイパーPA42シャイアン2「フェニックス」導入
■1990年(平成2年)
・8月 NHKのチャーター機が沖縄県勝連町(現うるま市)沖の海上に墜落、4人死亡
■1991年(平成3年)
・6月 雲仙普賢岳噴火で各社連日取材飛行
■1992年(平成4年)
・6月 読売新聞のサイテーション560「YOMIURI133」がサハリン訪問飛行
・9月 朝日新聞のサイテーション500「千早」が北朝鮮訪問飛行
■1993年(平成5年)
・7月12日 北海道南西沖地震 各社航空取材
・11月19・21日 読売C560「YOMIURI133」がキッシンジャー元米国務長官を送迎
成田ー小松を往復 民間自家用機が成田空港に乗り入れたのは初
■1994年(平成6年)
・10月 朝日新聞と毎日新聞のヘリが大阪府泉佐野市で接触、朝日新聞のヘリが墜落し、3人死亡
・11月 フジテレビのチャーター機が鹿児島県奄美大島で墜落、2人死亡
■1995年(平成7年)
・1月17日 阪神淡路大震災で航空取材・空輸
・5月16日 オウム心理教 麻原代表逮捕 新聞5社通信2社が初の共同取材飛行
各社分担で上九から警視庁まで空撮。(テレビ機の調整は不調に終わっている)
■1996年(平成8年)
・4月 長野放送とテレビ信州のヘリが長野市で接触して墜落、6人死亡
・6月 朝日新聞 サイテーション560VウルトラJA001A「はやて」導入
■1998年(平成10年)
・2月 毎日新聞EC135「オオルリ」を導入。新聞社でEC135導入はこれが最初
・3月 朝日新聞創刊120周年企画「坂本龍一オペラ」取材で坂本氏とモンゴルへ「はやて」取材飛行(6月にも実施)
・6月 中日新聞初のジェット機リアジェット31A「おおたか2」を導入
■2000年(平成12年)
・7月 朝日新聞 MD Helicopters MD902導入 報道機初のノーター機 JA01AP「あさどり」 
■2002年(平成14年)
・7月 朝日新聞 サイテーション560V アンコールJA002A「あすか」導入
■2004年(平成16年)
・3月 信越放送が取材飛行を依頼した中日本航空のヘリが長野県南木曽町の木曽川河川敷で墜落、4人死亡
■2006年(平成18年)
・3月 新北九州空港開港 毎日新聞北九州新格納庫運用開始
読売、朝日は北九州から福岡空港へ移転西日本空輸の格納庫を共同使用でヘリのみ収容。固定翼は大阪へ
読売新聞 通算4機目のジェット機サイテーション560(JA560Y)導入
・7月 朝日新聞「北極異変」企画で「あすか」アラスカへ取材飛行
■2007年(平成19年)
・3月 朝日新聞「地球異変」企画で「あすか」ツバルへ取材飛行
・11月 朝日新聞「地球異変」企画で「あすか」ヒマラヤへ取材飛行
・12月 オールニッポンヘリコプター所属のNHK取材用ヘリが静岡市葵区で墜落、2人死傷。フェリーフライト中
■2008年(平成20年)
・7月6日 青森朝日放送青森朝日放送、山形テレビ3局が合同で契約している小川航空のAS350が
火災を起こした海上自衛隊の護衛艦を取材の際海上に墜落4名死亡
■2009年(平成21年)
・7月8日 NNN系・福岡放送がBK117C2を運用開始。C2のテレビ取材機は日本初
※(関西テレビが83年にBK117A1=東亜国内航空運航を使用)
・7月22日 46年ぶりとなる国内陸地での皆既日食 中日、読売、毎日などがトカラ列島上空に固定翼を飛ばし撮影
■2010年(平成22年)
・11月 NNN・福岡放送のBK117C2が中国との緊張状態の尖閣諸島をHD防振カメラで空撮(HDではおそらく初)
・12月 朝日新聞向けのアグスタ109SP羽田の朝日格納庫で組み立て
■2011年(平成23年)
・3月 朝日新聞航空部 使用事業を開始
・3月11日 東日本大震災 各社取材飛行
毎日新聞EC135が仙台空港で給油待ちの際、地震発生。間一髪離陸し津波を逃れる
仙台の民放取材ヘリは津波で大破、飛行できず
NHKの仙台空港ベースの取材ヘリがテレビ局機で唯一離陸、津波襲来を全国に生中継
津波に襲われる仙台空港の毎日の写真とNHKの空撮中継映像は日本新聞協会賞受賞
・6月20日 朝日新聞アグスタ109SP命名式 命名「ゆめどり」
・12月 読売新聞・日本テレビ サイテーション560「みらい」を共同所有に変更 共同運用機となる
■ 2012年(平成24年)
・3月頃 朝日新聞のアグスタ109SPに新聞社のヘリとして初めて防振装置付きのENGカメラが搭載される
ジンバルはシネフレックス、カメラはSONY。収録のみに対応XDCAMデッキを搭載
・8月 毎日新聞が共同通信と共同でサイテーション525CJ2「希望」を運用開始
毎日新聞が運用する初のジェット機
■2014年(平成26年)
・1月 朝日新聞サイテーション「あすか」がマーシャル諸島・ビキニ環礁を取材飛行。核実験から60周年の企画用 
・2月17日 読売、関東甲信越地方での記録的大雪で陸路が遮断された山梨県甲斐市(日本航空学園)に朝刊9000部を空輸
朝日も新聞空輸を実施。
■2015年(平成27年)
・5月 朝日新聞サイテーション「あすか」がモンゴル取材飛行。
戦後70周年の企画で旧ソ連の対日進行拠点の巨大基地後を空撮。
■2015年(平成27年)
・9月10日 茨城・常総市で鬼怒川が決壊。
・11月11日 MRJ 三菱リージョナルジェット初飛行 新聞各社は初飛行が予想される数日前から当番制で代表撮影
■2016年(平成28年)
・4月 熊本地震発生直後 拠点空港は朝毎読の固定翼、産経ヘリは北九州空港、朝読ヘリは福岡空港、
 テレビ各社は福岡空港や西空の場外などを拠点に取材活動。地震直前の3月27日に福岡空港が「混雑空港」の指定を
 受けたことも影響した。
・8月27日〜9月7日 朝日新聞が太平洋戦争が始まって75周年の企画「戦火の残響」取材でサイテーション560「あすか」を
 サイパン〜ソロモン諸島まで飛ばし取材。紙面連載は同年11月〜
 取材は4カ国・地域、74カ所。12日間の総飛行時間は41時間36分
・10月国際航空宇宙店で日本テレビ 中京テレビがそれぞれレオナルドとAW139発注趣意書を締結 自社所有へ
・12月3日 毎日機CJ2+「希望」が北方領土を北海道高空から空撮(赤外線スチルカメラも使用)プーチン大統領来日に合わせ。
◼️2017年(平成29年)
・3月 読売新聞が福岡空港での取材ヘリ運用を廃止。西部本社で主に運用していたEC135(JA03YP)コスモスは羽田へ
・4月 13日 朝日新聞が導入したAW169命名式 「あかつき」と命名。42倍防振TVカメラに新聞取材機で初のテレビ局向けFPUを搭載。大阪でABC朝日放送の予備機としても運用。
・5月 読売134号機 BO105Sが退役。ニュージーランドへ。福岡基地閉鎖で更新機無し読売はヘリ3機、固定翼機1機体制に
・8月 朝日のAS355F2「はつどり」が抹消。AW169導入で春には戦列を離れていた。カナダへ。
◼️2018年(平成30年)
・3月 29日中日新聞のリアジェット31「おおたか2」が登録抹消。オーストラリアへ売却。後継機は無く中日は固定翼の運用から撤退
◼️2019年(平成31年)
・3月 28日毎日新聞、共同通信 合同運用H135-T3安全祈願祭&命名式 登録番号はJA01MK 色はこれまでの青赤トリコロールに共同通信のコーポレート色「えんじ」が加わる。
 (2019年1月11日 エアバス・ヘリコプターズ・ジャパンRGで新規登録)
◼️2019年(令和元年)
・4月1日日本テレビが発注していたAW139 JA04AXが三井物産エアロスペースから移転登録 偽装をすすめる
・5月1日朝日、毎日、読売各社は新元号、令和初日の日の出をサイテーションで空撮。朝日は佐渡島の北70キロ付近、高度1万4000m
 毎日は東京上空1万2000m、読売は静岡の上空1万3000mから。令和初日は全国的に曇りや雨。
・8月6日 第101回 全国高等学校野球選手権大会 恒例の始球式用ボール投下はAW169「あかつき」が担当。1回戦の誉のレフト坂又宗太選手が投下されたボールを
 ダイレクトキャッチ。9回大会から続くボール投下、甲子園での直接捕球はおそらく初。(ほーどー飛行機調べ) 
・10月12日 令和元年東日本台風(19号)で朝日川越ヘリポートが水没 多数のヘリが被災 修祓式間際の日テレAW139(JA04AX)も水没全損(2020年6月22日末梢)
◼️2020(令和2年)
・3月26日 福岡空港の混雑緩和のため福岡市東区に奈多ヘリポートが運用開始。Fukuoka VORTACのすぐ隣。
 雁ノ巣飛行場跡地の一部。報道機は西日本空輸運行の福岡民放4局とANHのNHK機、朝日新聞のヘリも移転。
 新ヘリポート着陸1番機はJA64NH、NHKの365。西空1番機はJA01CH、KBC機。朝日新聞のMD902は3月27日のフライインとなった。
・11月読売新聞航空部がInstagramを開設。読売新聞オンラインでは航空部の「操縦席からの景色」を掲載開始。動画では360カメラを駆使。
・12月中日新聞がBK117 D-3/H145を発注 東海テレビと共同使用予定
■2021(令和3年)
・春、朝日放送がB430を更新、AW169を自社所有し運用開始。JA06AY。運行は朝日新聞航空部。定置場は伊丹。
・4月日本テレビの新取材ヘリAW139(JA00AX)が運用開始 就役直前の2019年水没したJA04AXの代替え
・7月23日 東京オリンピック開会式 新聞ヘリは時間を分けて代表取材 テレビはOBSの1号〜6号(AS350B3)7号がNHKのAS365
 開会式前にブルーインパルスが都内を編隊飛行 五輪を描く テレビ新聞各社高度を取りながら取材飛行
■2022(令和4年)
・1月24日 TBS取材ヘリにBK117 D-3/H145を朝日航洋が発注
・9月15日毎日新聞、共同通信 合同運用H135-T3 JA02MKの愛称発表「へいわ」
  9月24日 北九州空港で安全祈願祭&命名式。カラーはJA01MKと同じ。
 (2022年6月13日 エアバス・ヘリコプターズ・ジャパンRGで新規登録)
■2023年(令和5年)
・3月2日 NHK広島の取材ヘリ オールニッポンヘリコプターのEC 135が岡山空港のスポットに着陸する際
 ハードランディング。機体が損傷。カメラマンが擦り傷を負った。パイロット、整備士に怪我はなかった。
 レジはJA37NH。広島ヘリポートを離陸後岡山県内の撮影のため給油のため立ち寄った。
・3月29日 名古屋テレビが購入した取材ヘリAW169の安全祈願が名古屋空港セコインターナシィナル格納庫で行われた。
 機体は自社所有、運航は整備は朝日新聞航空部が担当する。それまでの中日本航空のB430からの更新、
 運航会社も変わったためセコインターナシィナルの格納庫を使用。朝日新聞航空部が自社の拠点の無い空港での
 機材受託運航は同機が初めてとなる。運用開始は4月1日から。(JA06LX)
・3月31日 読売新聞と日本テレビが共同で購入した新機材AW169(JA04YP)が組立を行っていた奈多ヘリポートから
 伊丹経由で羽田へフェリー。(組み立ては西日本空輸)
 4月2日の読売誌面で告知され、4月6日に三井物産エアロスペースから移転登録された。
 カラーリングは日テレ取材機00AXの色違い。訓練と艤装を行い、本格運用は2024年4月。
・5月12日 中日新聞の新機材BK117-D3(JA04CP)の修祓式が名古屋空港で行われた。
 同機は東海テレビと共同運用、防振カメラ、ADSアンテナを装備。東海テレビとの共同運用は
 2022年に改修しTVカメラ伝送装置を装備した「まなづる」JA05CPに続いて2機目。
・10月 小笠原諸島 硫黄島で噴火活動、10月30日 毎日新聞 11月3日 朝日新聞、11月16日 読売新聞がそれぞれ自社の
 サイテーションを飛ばし取材。
 各社、自衛隊の硫黄島航空基地で給油支援を受ける。
・11月18日 毎日新聞ホームページで連載「パイロット・アイ」始まる。
 『事件・事故・災害…。最前線の現場を飛行するパイロットの目線で、上空から「今」を伝えます』
 初回はサイテーションCJ2「希望」での硫黄島噴火取材飛行。
・12月下旬 読売新聞が東シナ海に中国が一方的に設定した「防空識別圏」に軍艦を常駐展開している様子を
 サイテーション「みらい」で取材。12月30日に対峙する、海自護衛艦「みくま」と中国ミサイルフリゲート艦の写真を撮影
 翌年1月28日の朝刊1面トップと3面で取材ルポを詳報。
■2024年(令和6年)
・1月1日 令和6年能登半島地震 16時10分ごろ 石川県能登地方で発生 マグニチュード7.6
 震源周辺各地で土砂崩れ、津波被害が発生。輪島市では大規模火災も発生 羽田・名古屋ベースの取材機が取材活動
 新聞社は固定翼、回転翼機を投入。
・1月2日 17時47分ごろ羽田空港C滑走路(34R)で海上保安庁のDHC-8(JA722A)と札幌発のJAL516便が衝突
 炎上。JAL機の乗客乗員379人は脱出し全員無事。海保機は5名が死亡、機長が大けが。海保機は能登半島地震の救援物資に輸送任務中。
 新潟から取材を終え羽田に帰投中の読売C560は羽田クローズのため新潟空港に戻る。
・3月13日 民間衛星ロケット「カイロス」初号機打ち上げ和歌山県串本市で各社空撮 ロケット爆発の模様が生中継される

□■参考・引用■□
「翼よ あれがスクープの灯だ」鈴木五郎 著
「日本昭和航空史 新聞報道通信機編 モデルアート12月号臨時増刊」
「読売新聞百年史・百二十年史」「朝日新聞百年史」「毎日新聞百二十年史」
「朝日新聞航空部 2021カレンダー 自由の空へ 翼」
ほか

by pressaviation | 2024-01-28 01:22 | ほーどー飛行機年表 | Comments(0)

新聞、テレビに見る航空取材合戦。報道飛行機たちの活躍を気が向いたときに書くブログ。その他のヒコーキネタ、新北九州空港の話題も。


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