木製プロペラ・大飛行の歴史を静かに語る〜1

九州自動車道小倉南インターの南側、北九州市小倉南区道原(どうばる)。
のどかな田園風景が広がります
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【写真:北九州市小倉南区道原付近 「のどかぁ〜」】
この近くには「合馬の筍」で有名なタケノコの産地も有ります
山裾の木々の中に西大野八幡神社というなかなか歴史のある神社がひっそり。
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【写真:西大野八幡神社】
その拝殿の中に木製のプロペラが納められています
年季の入ったプロペラは二枚羽根、なかなかの大きさです。
このプロペラ、1924年から製造されたフランスの単発機
ブレゲー19型のプロペラ。
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【写真:西大野八幡(小倉南区)のフレゲー19型のプロペラ】
ここ道原出身で、初の欧州訪問の飛行を行った一人
朝日新聞のパイロット河内一彦さんが寄進したもの。

朝日新聞は大正14年(1925年)7月25日購入したブレゲー19を
「初風」と「東風」と命名した2機をシベリア経由でヨーロッパまで飛ばし
日本初の「訪欧大飛行」を成功させました
「初風」は初風の安辺浩操縦士 篠原春一郎機関士
「東風」が河内一彦操縦士、片桐庄平機関士。
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【写真:大正14年 代々木練兵場で出発前の「初風」右「東風」左】
このプロペラは河内さんが操縦した「東風」号のもの。

後に朝日新聞航空部部長になる河内さん、
昭和12年(1937)4月の「神風」号の東京‐ロンドン間国際記録飛行にも
尽力しました。
河内さんの事は平成5年に発行された
「モデルアート12月号臨時増刊・新聞通信機編」に詳しく書かれています。

現在の小倉南区に産まれた河内さんは福岡県立田川農林高校を卒業
実家からひと山越えたところには「河内(かわち)」という地名も有りますね。

大正9年には陸軍省の外局・航空局が設置
「大正9年航空機操縦生志願者」が募集されました
応募114名の中から10人が採用され、河内さんも合格しています
今風に言えば民間パイロット養成第1期といったところでしょうか。

河内さんは免許取得後陸軍航空部の検査班員を勤め
一等飛行機操縦士(飛行100時間)になります。

さて、大正12年には朝日新聞が東西定期航空会で陸軍払い下げの
中島式5型、6機で航空事業をスタート。(1月11日)

その年の8月、河内さんは朝日新聞に嘱託で入社
初仕事は現在も行われている
高校野球の始球式球の投下でした。
1923年(大正12年)8月16日
鳴尾球場(甲子園球場はまだ出来ていなかった)での第9回大会で
始めて行われたボール投下。

祝賀飛行に参加したのは飛行機は、
「朝日号」「川崎号」「春海号」など総勢8機!!
河内さん操縦のサルムソン2A2「川崎号」からパラシュートを付けた
始球式用のボールが投下されました。
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【写真:「川崎号」同形 サルムソン2A2の復元機・かかみがはら航空宇宙科学博物館】
この「川崎号」は川崎重工でライセンス生産されたピカピカの新造機。
河内さんと同時期に朝日航空陣に加わり、紙面でもかなり大きく
取り上げられています。

紙面では河内さんの経歴も詳細に報じられ23歳のパイロットは
超エリートで、花形だったんですね〜
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【写真:河内操縦士と「川崎号」導入を報じる朝日紙面 1923年(大正12年)7月29日】
朝日に入った河内一彦さんはその腕前を発揮、
ライバル毎日新聞との熾烈な報道飛行合戦を繰り広げます。

読売?当時の新聞社は大阪の朝日、毎日の2トップ。
東京の読売は小さなローカル紙。読売が航空部を持つのはまだまだ後の事。

さて大正14年、河内さんらはヨーロッパへの大飛行に挑む事になります。

つづく・・・
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by pressaviation | 2013-10-30 20:50 | 新聞 | Comments(0)

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